脳みそがいい感じにおかしくなっていると感じてはいたが、そろそろ終りがやってきたに違いない。
だって志波がものすごくかわいくみえる。
志波勝巳といえば、寡黙・無表情・無関心。
決して愛想がいいわけではないし、愛想がよければちょっとこわい。なのに最近ものすごくかわいくみえてしまう。
―――そろそろコンタクトも度がずれてきたか。変え時だな。
もしかしたらこれは地球規模での異常なのかもしれない。
冬だというのに今年は近年稀にない暖冬のせいで、屋上にいてもぽかぽかといい天気だ。日本人は四季をきっちり感じないと頭までおかしくなってくるのかもしれない。
目の前でもくもくと自分が持ってきたカップケーキを口に運ぶ男をみる。もちろん手作りだ。
――――どうしてもちろんなんだ?
どうして俺は志波にお菓子を持ってきてやったんだろう?
先月のバレンタインの時、袋いっぱいのチョコレートを抱えた志波と、まったく同じ状況の自分とが偶然靴箱で遭遇した。
きっと自分から声をかけた。すごい量だね、とかなんとか。志波はまあな、とか答えたはずだ。お前に言われたくはないとも。その無愛想なところとか投げやりな話し方が、なんとなく気になったから、もう少し話したいと思ったのだ。
『それ全部ひとりでたべるのか?』
『そのつもりだ・・・・・・』
『1週間じゃ食べ終わらないだろうな』
『・・・・・・・・・』
少し考えるような素振りをみせてから志波はまた口をひらいた。
『いや、1週間はもたないと思う』
『・・・・・・・・・』
思わずまぬけな顔をしてしまった。
『もしかして、甘いもの、すき?』
『・・・・・・悪いか』
『や、ややや、別にそういうわけじゃないけど、なんか・・・・・・』
『意外か?』
うん、と言いたかったが本人も気にしている風だったから何もいわなかった。顔にはでていたと思うけれど。
『・・・・・佐伯はそれ、食べないのか?』
『え、俺?』
―――俺の名前知ってたんだ
他人事に興味も関心もなさそうなこの男が。
『や、どうかな・・・食べるとは思うけど、手作りとかは日持ちしないからな』
『できるかぎり食べてやれよ』
『え?』
『手作りから食べてやれ』
なんで志波にそんなこと言われなくてはいけないのだろう。
『・・・・・・』
『バレンタインだからな、一応。棄てるのはやめとけ』
罰があたるぞ。
そう言って志波は笑った。
驚いた。そういう風に笑うとは思わなかった。
満面の笑みなんかではもちろんなくて、方頬を持ち上げただけなのだが。驚いた。
そうやって笑うのか。
バレンタインだからと、今日は特別な日だからと、そう言った。
女の子達の気持ちを、今日だけは無駄にするなとそう言ったのだ。
『あ、あのさっ』
『ん?』
話しは終わったと、帰ろうとしていた志波に思わず後ろから声をかけてしまった。
『甘いもの、好きなんだよな・・・俺、実は喫茶店でアルバイトしててさ、だから、お菓子とか作るの、結構得意なんだっ』
『?』
怪訝そうな顔を隠しもしない。正直、恥ずかしい。何を言ってるんだ俺は。
しかも何珊瑚礁のことまでバラしてるんだ・・・・・・
『で、でさ、来週、なんか作ってくるから、やるよ・・・っ』
『え?』
『や、店の新作メニュー、今作ってるんだ!だからその試食も兼ねて、さ!感想聞かせてほしいんだ・・・・・・』
苦しい。苦しすぎる言い訳だ。
突拍子ないことを言っている自覚もある。ただ、言わずにはおれないだけだ。
『・・・・・・ああ、わかった。楽しみにしてる』
『へ?』
『じゃあな、また』
そう言って、今度こそ彼は帰ってしまった。
あとに取り残される俺。残る疑問。
――なぜ俺はあんな約束を!?
新作の模索も、嘘ではないが志波に試食をお願いせずとも、小波がいるし祖父もいる。思わず出任せを言ってしまったが、志波はどう思っただろう。
――でも、楽しみにしてるって言った
彼がどう思ったかは知らないが、来週また会わなければならないのだけは確かだ。
袋いっぱいのチョコレートを、ひとりで全部食べると、彼女達の気持ちを全部きっちり胃袋におさめて彼の一部にすると言ったのだ。
その真っ直ぐな誠意が羨ましかった。
その真っ直ぐな誠意に答えてもらえる彼女達も、彼女達の作ったチョコレートも、ひどく羨ましかったのだ。
―――俺もぜんぶ、ちゃんとたべよう
それが始まりで、ずるずる続き今日で3回目の「試食会」だ。
―――だって、だってなあ
相当な甘党らしい。いつも全部平らげてしまう。
それに心なしかいつもより目が柔らかい。眉もさがり気味のような気もする。さっきから一言もしゃべらない。
―――ああああ、なんかおかしい!俺ぜったいおかしい!
昼休みの屋上の片隅で、異様な光景が展開されているとわかっている。
ひとり黙々とカップケーキをほお張る男と、それを見つめる男。
澄み渡った空が逆にこの一角だけを浮ばせているようで、居心地が悪い。
「・・・・・・どうだ?」
「・・・・・・うまいよ」
「そっか・・・・・・」
「もう一つ、いいか?」
「あ、ああ、いいよ。ていうか、全部食べちゃってくれよ」
「そうか・・・・・」
そう言って手を伸ばす彼の目じりは、やっぱりいつもより、柔らかい。
またひとつ、カップケーキが彼の中におさめられていく。そして彼の血肉となる。
彼は気持ちは無駄にしないと、すべて取り入れると、そう言った。ならばカップケーキにこめられた作り手の気持ちも無駄にはされないということだ。
彼の誠意で持って、カップケーキに込められた悶々とした感情を体の一部にしてしまった。作った本人にもわからない、得体の知れない感情は彼の一部になってしまった。
「これで志波が腹くだしたら確実におれのせいだ」
だって何が入ってるかわからないんだ。
口にだしたつもりはなかったのに、どうやらもらしてしまったようで志波はぴたりと動きをとめた。口に運んでいた手をおろし、すっと目線をあわせて、また、笑って言った。
「大丈夫、くだらないから」
髪の先まで震えた。俺は変態か。
やばい、これはやばい。
志波がかわいくみえるとか、そういったレベルを超えて、かなりやばい。
お菓子はちゃんと火も通っているから腹はくださないよと、そういう意味なのだろうが、それでも。
得体の知れない感情でさえも、大丈夫といってしまえる。
もうコンタクトレンズだけではどうにもならないかもしれない。
すべては地球の環境異常のせいなのだ。
こんな冬にこんな屋上で、なんで俺はこんなにあついんだろう。
こんな状態で夏がきたらどうなるんだろうと、ぞっとしないでもない3月の陽気。
夏まで作り続ける気なんだな、俺は。